おさるの日記・教育についてのあれこれ

教育・家庭・子育てについて思うこと

夫婦不和に伴う「子供の連れ去り」問題その2…子供を持つということ、その辛さと苦しさ。 

夫婦がこじれるだけでも、子供にとっては負担は大きい。その上、片方の親が突然いなくなる。そんな事態は避けたいと誰もが思うだろうが、感情が言うことをきかないのが人情というものだ。

 

私の周りには離婚者がけっこういるが、その中で印象的だった例が1つある。

 

夫の借金が理由で離婚した、当時30代の夫婦だ。

借金は高額で、妻の両親が購入したその夫婦の自宅が抵当に入っていた。もちろん妻は知らないことだ。1年近くの裁判を経て離婚。その時一人娘はまだ2歳。

 

但し、借金の原因は夫の脳機能障害が原因だったことを付け加えておきたい。

事故による後遺症で、不必要なものを買い込んでしまう習慣が付いてしまっていたようだ。

 

親権は夫が持ち養育費の責任を負うが、娘は妻とその両親と同居すること。夫が定期的に娘と会う事を互いの条件とした。

 

ところがこれがうまくいかなかった。

離婚した時、娘は物心がつく前。たまにしか合わない父はもはや、知らない男と同じになってしまっていたのだ。

 

裁判中はもちろん父親には一度も会っていない。1年近く全く合わず、父親の話も聞かなければ他人と同じになっても仕方がない。

離婚後、元夫が娘を迎えに来ても、娘は泣いていやがる様になってしまった。もちろん妻側がそう仕向けているわけではない。これは父親として相当に辛かったに違いない。

結局娘との面会は取りやめとなり、元夫は娘の運動会や学芸会を、こっそりと影から見守るだけとなった。

 

夫の母親は「養育費をただ払っているだけの父親になってしまった」と嘆いているらしい。母親の嘆く気持ちも良くわかる。お金を払うだけの存在が、果たして父親といえるのか? 悩ましい問題だ。 

 

娘が大人になった時、父親と会いたい、話がしたいと思うようになるのだろうか。なるかもしれないし、ならないかもしれない。それは娘の気持ち次第なのだろう。 

 

<嫌なら離婚したらいい> そんな言葉をよく聞く。

 

確かに子供がいなければそうだろう。嫌なら離婚すればいいのだ。いがみ合って一緒にいるくらいなら、いっそ他人になってやり直した方が有意義な人生が送れるかもしれない。

 

しかし子供がいると話は全く違ったものになる。いがみ合うくらいなら別れた方が良いのは同じだ。しかし、それぞれ他人になりきることだけは絶対にできない。

 

かつて夫婦だった男女が、新たな人間をこの世に送り出してしまった。

その新たな人間<子供>にとっては、両親との関係を完全に断ち切ることはできない。

物理的には出来たとしても、気持ちの上でできないのだ。

 

それは愛情だけではない。

憎しみであれ、怨みであれ、関係を断ち切りたいと願うのであれ、子どもの心に何らかの感情が付きまとうことに違いはないのだ。

 

親は子供に対して責任がある。

子供が生まれながらの狂人でない限り、親は子供に対して責任があるのだ。

 

子供をもつ事が「リスク」だとするならば、この「責任」こそが最大の「リスク」だろう。自分が死ぬか、子どもが死ぬか、どちらかがこの世を去ってしまうまで続く親としての責任。これほど大きなリスクが他にあるだろうか。

 

だから結婚相手は重要なのだ。

この人が自分たちの子供の親としてふさわしいのかどうなのかを、見極めなくてはならない。結婚で最も大事なのは本当はここなのだ。遺伝的にも感情的にも経済的にも、自分は自分たちの子に責任を持てるのか、相手は責任を果たしてくれるのか。

 

しかし現実は、そこまで深く考えて結婚をする人はそういない。自分だってそうだった。勢いがなければ結婚なんてできない。あれこれ考えれば考えるほど、婚期は遠のくものだ。

 

互いに譲歩に譲歩を重ね、離婚に至らないよう最大限の努力を続けるしかない。それには自分が100%では無理だ。だから自分の半分を捨てるしかない。子供が産まれた瞬間に、自分の半分を諦めるしかない。

 

それが嫌なら、あるいはできないのなら、子どもを持つべきではない。

 

子供を持たなくても有意義な人生を歩むことはできる。そうした方が合っている人もいる。誰も彼もが結婚をし、子どもを持っていいものではないと私は思っている。

 

もちろん私自身、子どもを持ってよかったのかどうか疑問に思うことは多々ある。遺伝的に、心情的に、経済的にも、私は立派な親とはお世辞にも言えない。

そのことで私はずっと苦しんできたし、これからも苦しむだろう。

 

もう一度人生を送れるのだとしたら、私は「母」という人生だけは絶対に選ばない。

 

確かに幸せもある。楽しいこともある。

でもそれを帳消しにするくらいの辛さと苦しさがある。自分以外の人間を、一生心配し続けることはそれほ辛いことなのだ。自分に向けられる子供の思いを受け止め続けるのは、想像以上に苦しいことなのだ。

 

子供連れ去り問題を読んで、連れ去った親も、連れ去られた親も、それぞれに辛く苦しい思いを抱えているのだろうと思うと、その重さに涙がでる思いがした。

 

法律で人の感情は解決できない。でもだからこそ法律はあるのだ。

共同親権とする、あるいは非親権者が親と子供が会う権利を法が保障する。そうした方が、子どもが両親に気を使い、苦しむことが1つでも減るのではないだろうか。

 

2分に一組の夫婦が離婚しているらしい。

それだけ複雑な思いを抱えて、生活をしている子供がいるという事だ。

人間というものは、本当にどうしようもない。

どうしようもないくらい、感情に支配された生き物なのだ。 

 

 

 

夫婦不和に伴う「子供の連れ去り」問題。それが問題だとは思わなかった自分の感覚に驚いている。

東洋経済のこんな記事を読んだ。

 

 

toyokeizai.net

 

実子の片親による連れ去り問題は、国際結婚をした日本人の妻が婚姻関係の破綻と共に、実子を日本に連れ去ってしまうというケースで話題になった。

 

でもよく考えてみれば、国際結婚でなくても同じである。結婚の形態がどうであれ、配偶者の了解なく勝手に子供を連れ去る。それは紛れもなく「誘拐」だと思う。

 

しかし私は今まで、そんな風に考えたことは一度もなかった。

だからこの記事をよんでハッとした。

 

私はこれまで、母親が何らかの理由で家を出るときは、子供を連れて行くのは当然なことだと思っていた。寧ろ子供をそのまま置いていくことに、強い反感を持っていたくらいだ。

 

80代の母はよく言っていた。 

「そもそも男に子育ては無理。できるはずがない。だから母親は子供を連れて行かなくてはいけない。」

 「男はいつまででも自分の子供を持つことができる。でも女は違う」

 

すごい論理だと思う。

男性だっていつまでも子供ができるわけではないし、子育ての得意不得意があるのは男女ともに同じだろう。

 随分と一方的に決めつけるものだと思うが、少し前まで私も同じように思っていたのだから、そう主張する人を責めることはできない。

 

「男尊女卑」というものは、女性が何かと制限を受け不利益を被ってきたように言われるが、それと同時に女性が担ってきた責任や行為について、男性が口をはさむ事が許されない風潮も生んだ。

 

男が台所に入ってはいけない。

男が買い物をするなんて格好悪い。

子供にあれこれ構うのは男の仕事ではない。

家庭のことを優先するとは何事か。

 

今ではとんと聞かなくなったセリフの数々だが、少し前までそれが普通だった。その頃の習慣が、まだ意識の中に残っているのだと思う。母親による実子の「誘拐」は、昔の(今も多少残っている)男尊女卑の名残だろう。

 

*****

 

戦前から現在まで、離婚の際に子供をどちらが引き取るか。それは時代によって変わる。しかし母親・父親の違いはあっても、いつもどちらかの力が強く、片方の親に発言権が無きに等しいのは同じだ。

それなら共同親権にすればいいではないか?ハーグ条約批准国の多くは、すでにそうなっているようだ。

 

しかし…

頭ではそれが良いと分かっていても、感情がついて行かない。

何故なら共同親権は、離婚した妻や夫の現状を、子どもを介していつまでも知ることになるからだ。

 

これは精神的にキツクないだろうか?

 

私だったら、参ってしまうと思う。 子どもの成長に関わる大人は一人でも多い方が良い。子供の気持ちもある。親が強制的に片親を奪ってもいいのか?とも思う。

 

しかし…。

別れた夫の現在など、できれば知りたくはない。

(離婚はしていませんが) 

 

長くなりそうなので、この話、次回に続きます。

 

 

 

 

男の子…この悲しくも弱きもの。息子を持つ母は複雑な心境なのです。

 

男女差よりも個人差の方がはるかに大きいです。

今日の話題はそれを前提にした話です。

 

 

ついにそうなったか… 

 

先日、興味深い話を聞きました。

 

知人の中学生のお嬢さんが、

学校での出来事として、こんな話をしたそうです。

 

「<○○君はかわい子ぶってる>って友達が言うんよ。

わざと勉強ができないフリをして、

僕ってダメでしょう?ってかわい子ぶるんだって」

 

かわい子ぶる…。 

 

私は「へっ!?」

娘の話を聞いた知人も驚いたそうです。

 

いまから40年ほど前、

私たちが中学生だった頃は、

それは「女子から女子に対して」言う嫌味でした。

 

「○○は、わざとできないフリしてかわい子ぶる。

男子の前だと絶対に「できな~い」って言うんよねぇ~。」

というふうに。

 

それが今や、女子が男子に対して言う言葉になったとは。

しかもそう言われるようなことを男子がするんだ…。

 

ついにそうなったか…と、

息子を持つ母としては、非常に複雑な心境でした。

 

男子を持った母親は、

自分は女性でありながら、息子が属する男社会の心配をする。

そんなねじれた気持ちを持つ複雑な生き物なのです。

 

なにかと優秀な女子

 

「効率化」と「清廉潔白」を過剰に求める今の時代、

男子と女子がまともにかち合えば、

多くの分野で女子が勝ってしまうような気がします。

 

学校の成績でも就職の試験でも、

上から順番に採っていけば、

女子ばっかりになるのではないかと言われていたり。

大学受験の学校推薦も女子が多いそうで、

内申点も女子の方が取りやすいですよね。 

 

これまでは社会的圧力で女子を押さえつけていたけれど、

その圧力が緩くなれば、

真面目で、何でもそつなくこなすことができる女子の方が、

男子の上を行くのではないかと思うのです。

 

(出産や育児問題があるので、

圧力が完全に消えることは無いと思いますが。) 

 

以前何かの本で、

男性と女性、それぞれのIQ分布図を見たことがあります。

 

女性の場合は平均値である100の近くに、

まるで桂林の山のように集まっていましたが、

男性のIQは上から下まで、

なだらかな丘のように広がっていました。

 

ものすごい奇人変人の天才もいるかわり、

どうしようもない人間も同じ数だけいる。

それが男性のIQ分布図。

 

これも当然、

個人差の方が大きい事には違いないのですが、

このIQ図は、なんとなく当たっているような気もします。 

 

男子には厳しい時代 かも  

  

凶悪犯罪を起こす率は、

どの時代どの年代をとっても、男性の方が圧倒的に高い。

 

自閉症と診断される確率は、男子が女子の4倍以上。

 

一卵性双生児の死産率は、

男子と男子の場合が、女子と女子よりも高いそう。

ストレスへの耐性の違いではないかと言われているんだとか。

 

ストレスに弱く、

体も弱く、

融通が利きにくく、要領も悪い。

気難しくて何かとめんどくさい男子。  

 

そんな男の子の成長はジグザク道。

あっちにぶつかり、こっちに当たり、

ゆっくりと大人になっていくように思います。

すんなりいかないのが男子の特徴ではないかと。 

 

あまりに効率や真面目さを求めすぎると、

男子に必要な「無駄な時間」と「無茶ぶり」を、

社会が許してくれないような気がするのです。  

 

男の子のすごいとこ

 

でもそんな男子の無茶なところやゆっくりとした成長も、

人の世には必要なのだと思うのです。 

 

女の子は地に足がついている。

でもそうだからこそ無茶ができない。

でも無茶をしないと

「今」を超えて行くことはできません

 

ロケットで月に行こうなんて、

無茶で壮大な夢を持つことができるのも男子。

 

何が面白いのか?何の役に立つのか?と思うようなことでも、

夢中になってし続けることができるのも男子。  

 

日常のこと、

今を継続していくことには大して役に立たないけれど、

想像したこともないような未来を開いていくのは、

男の子でないとできないような気がします。  

ワクワクするような何かを創造するのは、

男の子の専売特許ではないでしょうか。 

 

誰もが生きやすい社会に

 

女の子、男の子でカテゴライズするのは、

本当は間違っているのかもしれませんね。

男子と女子はグラデ―ションのように

互いの特質が混ざり合って繋がっているのだと思います。

 

女子が生きにくい社会は、男子にとっても生きにくい。

男子が辛い世の中は、女子にとっても辛いはず。

 

お互いの特質を理解して、

おおらかな気持ちで人を見ることができれば、

それが誰にとっても生きやすい社会なのでしょうね。

 

効率化も正しさも真面目さも、ほどほどが一番。

 

と言っても、

言うは易し…難しいですよね。

私もできないからなぁ…。 

 

いずれにしても、

男子、頑張れ!

ウジウジしてないで、行きたい所へ行けばいいよ!

自分のしたいことをしたらいいんだよ!

息子を持った母は、

みんな君達を応援しているよ! 

 

 

 

<才能>の種類によって幸不幸は違う。持たない方がよい才能もあるのではないかな…。

 

新聞ドレス 

 

先日TVをつけると、

「新聞でドレスを作る!」というテロップが目に入ってきました。

 

「新聞でドレス?」

 

興味をそそられ観てみると、 

作るのは「新聞女」という異名を持つ、

芸術家の西沢みゆき氏。

 

彼女が作る新聞ドレス。

ほとんど加工がされていないので、

どこから見ても「新聞のドレス」なのですが、

なんだか妙に味のある作品でした。

 

でも私が興味を持ったのは彼女の過去の話です。 

 

変な子? ダメな子?

 

彼女の幼い頃の話を聞くと、

それは明らかに「芸術系」の人。

発想がおもしろく、目のつけ所が個性的。

 

でもこういう人は必ずと言っていいほど、

「自分は変なんだ、ダメなんだ」と思ってしまうんですね。

「思ってしまう」というよりは「思わされてしまう」んです。

 

彼女のような奇抜な才能を持った子は、

その他の多くの子供から見れば

ただの「変わった子」でしかないのでしょう。

 

でも、そう思う子供を責めることはできません。

小学生や中学生はまだまだ頭の中が幼く、

恐ろしく経験不足。

 

そのため、

自分の中にある「普通」から少しでも外れると、

それは全部「変」になってしまいます。

 

非常に世の中が狭いんですね。

 

周りの大人にしても、

普通は精神的な余裕がありませんから、

「面倒な子」として配慮の外に置かれる場合が多いです。

 

かくして、

何かの才能を持った人というのは、

程度の差こそあれ、

人間関係において何かしら

辛い思いをする場合が多いのではないかと思います。

思春期は特に。

 

得な才能と損な才能

 

<才能があるっていいよね>

人はお世辞半分でそう言いますが、

持った才能の種類によっては、

持たなかった方が良かったのではないかと

思うようなものもあります。

 

以前NHKで、

「知らぜらる天才・ギフテットの素顔」という、

ドキュメンタリー番組がありました。

 

高IQのギフテット達が登場しますが、

最も印象的だったのは、

数学の天才と芸術の天才の、あまりな処遇の違いでした。

 

***** 

 

数学の天才は小学生の男の子。

小学4年生だったかな? 

大学院で扱うような数学を独学で学んでいるという、

本物の天才でした。

 

彼と親交のある大学の教授は、

「彼は将来、数学で何らかの成功を納める人になる。」と

目を細めておっしゃってました。

きっと彼の未来は明るいのだろうと思う瞬間でした。

 

逆に芸術の天才である20代の男性。

彼は東京芸術大学中退の経歴を持つ、当時ひきこもり中の青年でした。

IQが140とかじゃなかったかな?

 

彼が描いたという、

塀一面に描かれたパンダの絵。

色を削ることで陰影を出しているスゴイ絵でした。

 

でも「落書き」という事で、

数日後にはきれいさっぱり消されてしまいます。

 

彼が芸大を中退したのは、

大学の規定を守らずに(悪気はない)

芸術活動をしてしまうことが原因でした。

 

私なんぞは、

芸大ってそういうところじゃないの?

大学は才能を守らないの?

と思うのですが、

才能を守る事よりも、

問題が起きることを避ける方が、

大学にとっては大事だったのでしょう。

 

理系はいいなぁ…

 

数学や医学、IT系などなど、

今の時代に役立ちそうな才能(能力)があれば、

よほど人間的に欠陥がないがぎり、

未来は明るいのではないでしょうか。

 

天才まで行かなくても、

「ちょっと平均よりできる」くらいでも、

十分ご飯の種になると思います。

 

でもその他の才能は?

特に芸術系は「頂点に立つ」くらいでないと食べてもいけないし、

なかなか厳しいのではないでしょうか。

 

結局のところ才能の価値は、

世の中の利になるかならないかが基準になります。

 

理系の才能は世の中の利になりお金になる。

成果がはっきり目に見えてわかりやすい、というのもあるでしょう。

そしてその基準は、時代によっても変わります。

 

そんなことを考えると、

たいして有利にならないのなら、

そんな特別な能力は、無い方がいいのではないかと思ってしまいます。

 

得にもならないのに、

やたらと生きずらいって…あまりにも気の毒すぎます。

多勢に無勢。

それなら多勢の中にいたほうが、楽しく生きられるかもしれない。

 

*****

 

さだまさしの「無縁坂」という曲。

 

運がいいとか悪いとか

人は時々 口にするけど

そういうことって 確かにあると

あなたを見てて そう思う

 

哀愁漂う良い曲ですが、

ふと思い出すような本日の話題でした。

 

 

*****

 

西沢みゆき氏のインタビューです。

詳しく載っているサイトがあったので。

ima.goo.ne.jp

 

 

娘のヒーローである「父」と、息子の聖母である「母」 

私の母親は扱いの難しい人ですが、

私の兄弟は私ほどそう思っていないので不思議です。

 

難しい人だという認識はあるのですが、

それで母親を憎むとか、そういう気持ちはないようです

性格の問題かもしれませんが、

やはりそこは男女の違いかもしれません。

 

***** 

 

同性の親子と異性の親子は、扱いも感情も違います。

基本的に息子にとって母親は「聖母」です。

母親にとっても、息子は「かわいい私の息子」なのです。

 

逆に娘にとっては、父親はヒーローです。

自分のことを心配し、守り助けてくれる唯一の人です。

父親の方でも、

息子に対する思いと、娘に対する思いは違うのだと思います。

 

***** 

 

私の父は71歳で亡くなりました。

 

父が亡くなった時、

「これで私を全力で助けてくれる人はいなくなった…」と思いました。

母親や夫はいますが、父親に対する思いとは何か違います。

 

実際の父は、いつもどんな時でも私を助けてくれたわけではありません。

その必要がないと思うこともあっただろうし、

助けたくないと思う時もあったかもしれません。

 

それでも娘である私は、

「父はどんな時でも必ず私を助けてくれる」と

思っていたのですから不思議です。

 

 *****

 

親子とは不思議な関係です。

これほど愛憎乱れる思いを持つ相手は

「親」のほかにはありません。

 

我が子や配偶者には、

そこまでの思いを抱くことはありません。

また相手に期待することもありません。

 

配偶者は「最初は他人だった人」です。

離婚すれば「他人」になる人です。

そういう立場の人に、

そこまで期待してはいけないという気持ちがあります。

 

我が子に対しても同じかもしれません。

子供はいずれ、

母である私からは離れていく存在だと思っているからです。

 

子供が親を追い求める気持ちは、

ほかのどんな人にも向けることはない、

非常に特殊な感情なのかもしれません。

 

**** 

 

「伊集院花子の生涯」

宮尾登美子の小説で、夏目雅子主演の有名な邦画ですが、

私が一番印象に残っているのは一番最後のシーンです。

 

亡くなった花子が出したハガキを、松恵(夏目雅子)が受け取ります。

そこには拙い字でこう書いてありました。

 

「おとうさん おねがい たすけて」

 

娘に裏切られた父・鬼政(仲代達矢)。

それでももし生きていたら、きっと娘を助けたと思います。

花子は父の死を知っていたのかどうなのか。

切なくて、忘れられない場面です。

 

 

 

 

億単位のあぶく銭がないのなら、たとえ安いバイトでも、雇われで働くのが一番安全なお金儲けだと思う…という話

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30代(既婚)で転職に失敗してから、

今までずっと「バイト兼業主婦」でした。

 

何の資格もない私。

できるバイトは限られます。

 

いろんなバイトをしましたが、

事務系でも何でも、

共通しているのは時給が安いこと。

 

派遣になると時給は上がりますが、

やっぱり私は直接雇用の方がいい。

 

そうなると、

会社によっては最低賃金そのままだった所もあるし、

最高でも1.2倍くらいだったでしょうか。

1か月休まず出勤しても12,3万円がいいところ。

それ以上になる事はなかったなぁ…。

 

子供が幼稚園に入ってからは1日3時間ほどのバイトを開始。

こちらは1か月6万円ほど。

 

★★★

 

さすがに嫌になって、

「なにか在宅でお金になることはないものか」と考え、

様々な財託をすることに(シャレではありません…。)

 

FX、ミニ株投資信託などなど。

 

面白かったけど、どれもお金にはならず。

原因は投資額の少なさ。

 

投資というものは、

最初にど~んと大金を入れて、

その利ザヤで稼ぐもの。

資金が少ないと、

儲からないどころか損ばかり出ます。

 

★★★

 

まさにFXなんてその極み。

 

レバレッジは無視するとして、

<米ドル×円>で「1$=100円」の場合、

もし1億円の資金があれば、

1円動くだけで100万円の儲けになります。

 

50銭でもその半分の50万円。

1銭でも1万円の儲け。

 

50銭くらいならすぐ動くので、

それほど大きな失敗もないです。

月に50万円でいいのなら、

たいした苦も無く達成できると思います。

 

ところがこれが資金100万円になると大変なんです。

 

米ドルで取引するとしたら1万ドル。

1円動いて、やっと1万円の儲け。

 

月に10万円儲けようとすると、

これを10回成功させなくてはなりません。

しかも毎月。

 

これは素人には難しい。

「できる月もあるよ」ならいいのですが、

毎月必ずとなるとキツイ。

 

乱高下の時期でない限り、

1円の動きを追うのって、けっこう難しいんです。

売り買いのタイミングを間違うと大損したり。

 

★★★

 

てなことを考えると、

FXで間違いなく儲けようと思ったら、

最低でも1000万円くらい投資しないとムリが出ます。

レバレッジを10倍に設定するとしたら100万円の資金が必要。

 

でもその100万円、

たとえ次の日に泡と消えても、

「くやし~!!」と叫んで済むお金でないとダメです。

 

昔、FXで通算3億だか4億だかの利益を出したにもかかわらず、

税金を払わずに逮捕となった主婦がいて話題になりました。

 

「主婦」という響きにインパクトがありましたが、

確か彼女も、最初の資金は億単位だったような記憶があります。

「普通の主婦」ではなかった…。

 

★★★

 

当たり前と言っちゃ当たり前の結論なんですが、

いろいろやってみて思うのは、

たとえ時給が安くても、

雇われて働くのが一番お金になる、という事でした。

 

全く夢のない話ですが、

これが現実とあきらめてコツコツと小銭を稼ぎ、

これまたコツコツと蓄えるしかないのでしょうねぇ…

 

「貧乏暇なし」

言い得て妙ですねぇ…

 

 

紫式部の処世術は「バカでかわいい女」を演じること。女の社会も大変なんだよ…という話

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紫式部と言えば、ご存じ平安時代きっての才女です。

同じく才女と並び称される清少納言とは、性格が正反対の彼女。

 

心配性で不安症、考え方は常にネガティブ。

非常に繊細な神経の持ち主だったようです。

 

宮中に出仕するも先輩や同僚のいじめに会い、

5か月間も引きこもってしまう。

 

起死回生に彼女が使った処世術が

「バカでかわいい女」を演じること。

先輩や同僚たちの前で、

「わたしぃ…漢字も満足にかけないんですぅ…」とやった。

 

当時の「漢字を書く」は今とは教養の重みが違うので、

「私なんて、ぜんぜんダメ。才女なんかじゃないですよぉ…」という感じ。

 

周りの女房達は「な~んだ、そうだったのね」と一安心。

紫式部さんっておっとりとした性格なのねぇ」と、

手のひらを返したように彼女を受け入れるのです。  

 

★★★

 

さぁ、これです。

女性の皆さん、一度は経験があるのではないでしょうか。

 

「バカでかわいい女を演じる」は、普通は男女の恋愛の事として言われますが、

女性の集団内でも同じようなことがあるのですね。

 

だって「女」というものは、

「みんな一緒」が大好きですから

 

「一緒」というのは、

いろんな事の「レベル」だったり、趣味趣向だったり、考え方だったり…。

あるとあらゆる事に対しての「一緒」です。

決して「一緒に過ごす」という意味だけではありません。

 

紫式部は数いる女房のなかでも、すこぶる能力が高い。

女房たちにとって、これは由々しき事です。

「みんな一緒」じゃないんですからね。

 

自分たちと大きく違う者は縄張りの外に出す。

これが「女」の基本的な掟。

 

あからさまにハブるだけではなくて、

「あなたのような凄い人は恐れ多いわぁ~」などと

丁重に蹴り出す場合もあったりして…。

 

ところが、

自分たちのグループに入れたほうが有利だとなった途端、

手の平を返したように近寄っていくこともあるんですよねぇ…。

 

あな恐ろしや、女の集団とは。

 

「出る杭打たれる」という言葉があるくらいだから、

男性も同じなのかな?

 

「女」として外から見ている分には、

男性は友達グループも固定ではないし、ひとり行動をしても弊害はないし、

「男」って自由でいいなぁと思うのですが。

 

★★★

 

人は社会的な生き物ですから、

人と全く関わらずに生きていくことはできませんよね。

 

でもどのくらい関わるか、

どのように関わるかは人によって違います。

ここが異なると上手くいきません。

 

処世の術は必要なんだろうけど、ずっと演じ続けるのは大変すぎます。

演じることなく、自分と似た人とだけでいられたら楽なんだろうけど、

そうできないのが世の中というもの。

 

★★★

 

平安時代の貴族の女性は、ひとりで外を出歩くことも許されず、

息抜きや気分転換ができないのが普通でした。

 

常に同じメンバーで四六時中、顔を突き合わせているのですから、

演じ続けるなんて大変だ! なんて言ってられませんよね。

いじめに会ったり、総スカンを食らったりすると地獄を見ますからねぇ。

 

その点、清少納言のようにあっけらかんとした性格は、

得というか何というか。

 

結局、女社会(男女社会でもかな?)で生きていくには、

ちょっとだけおバカか、性格が乾いているか、

このどちらかが楽でいいんではないかと思うわけです。

 

そうじゃないと何らかの形で「演じる」ことになったり、

もっと最悪なのは延々と競い合う事になったり…ね。

同程度の者同士が1㎜の差を争い合う「マウンティング合戦」。

ほんとうにもう、これって最悪だから。

 

…とかく人の世は住みにくいですなぁ。