おさるの日記

感じること、思う事

夫婦不和に伴う「子供の連れ去り」問題その2…子供を持つということ、その辛さと苦しさ。 

夫婦がこじれるだけでも、子供にとっては負担は大きい。その上、片方の親が突然いなくなる。そんな事態は避けたいと誰もが思うだろうが、感情が言うことをきかないのが人情というものだ。

 

私の周りには離婚者がけっこういるが、その中で印象的だった例が1つある。

 

夫の借金が理由で離婚した、当時30代の夫婦だ。

借金は高額で、妻の両親が購入したその夫婦の自宅が抵当に入っていた。もちろん妻は知らないことだ。1年近くの裁判を経て離婚。その時一人娘はまだ2歳。

 

但し、借金の原因は夫の脳機能障害が原因だったことを付け加えておきたい。

事故による後遺症で、不必要なものを買い込んでしまう習慣が付いてしまっていたようだ。

 

親権は夫が持ち養育費の責任を負うが、娘は妻とその両親と同居すること。夫が定期的に娘と会う事を互いの条件とした。

 

ところがこれがうまくいかなかった。

離婚した時、娘は物心がつく前。たまにしか合わない父はもはや、知らない男と同じになってしまっていたのだ。

 

裁判中はもちろん父親には一度も会っていない。1年近く全く合わず、父親の話も聞かなければ他人と同じになっても仕方がない。

離婚後、元夫が娘を迎えに来ても、娘は泣いていやがる様になってしまった。もちろん妻側がそう仕向けているわけではない。これは父親として相当に辛かったに違いない。

結局娘との面会は取りやめとなり、元夫は娘の運動会や学芸会を、こっそりと影から見守るだけとなった。

 

夫の母親は「養育費をただ払っているだけの父親になってしまった」と嘆いているらしい。母親の嘆く気持ちも良くわかる。お金を払うだけの存在が、果たして父親といえるのか? 悩ましい問題だ。 

 

娘が大人になった時、父親と会いたい、話がしたいと思うようになるのだろうか。なるかもしれないし、ならないかもしれない。それは娘の気持ち次第なのだろう。 

 

<嫌なら離婚したらいい> そんな言葉をよく聞く。

 

確かに子供がいなければそうだろう。嫌なら離婚すればいいのだ。いがみ合って一緒にいるくらいなら、いっそ他人になってやり直した方が有意義な人生が送れるかもしれない。

 

しかし子供がいると話は全く違ったものになる。いがみ合うくらいなら別れた方が良いのは同じだ。しかし、それぞれ他人になりきることだけは絶対にできない。

 

かつて夫婦だった男女が、新たな人間をこの世に送り出してしまった。

その新たな人間<子供>にとっては、両親との関係を完全に断ち切ることはできない。

物理的には出来たとしても、気持ちの上でできないのだ。

 

それは愛情だけではない。

憎しみであれ、怨みであれ、関係を断ち切りたいと願うのであれ、子どもの心に何らかの感情が付きまとうことに違いはないのだ。

 

親は子供に対して責任がある。

子供が生まれながらの狂人でない限り、親は子供に対して責任があるのだ。

 

子供をもつ事が「リスク」だとするならば、この「責任」こそが最大の「リスク」だろう。自分が死ぬか、子どもが死ぬか、どちらかがこの世を去ってしまうまで続く親としての責任。これほど大きなリスクが他にあるだろうか。

 

だから結婚相手は重要なのだ。

この人が自分たちの子供の親としてふさわしいのかどうなのかを、見極めなくてはならない。結婚で最も大事なのは本当はここなのだ。遺伝的にも感情的にも経済的にも、自分は自分たちの子に責任を持てるのか、相手は責任を果たしてくれるのか。

 

しかし現実は、そこまで深く考えて結婚をする人はそういない。自分だってそうだった。勢いがなければ結婚なんてできない。あれこれ考えれば考えるほど、婚期は遠のくものだ。

 

互いに譲歩に譲歩を重ね、離婚に至らないよう最大限の努力を続けるしかない。それには自分が100%では無理だ。だから自分の半分を捨てるしかない。子供が産まれた瞬間に、自分の半分を諦めるしかない。

 

それが嫌なら、あるいはできないのなら、子どもを持つべきではない。

 

子供を持たなくても有意義な人生を歩むことはできる。そうした方が合っている人もいる。誰も彼もが結婚をし、子どもを持っていいものではないと私は思っている。

 

もちろん私自身、子どもを持ってよかったのかどうか疑問に思うことは多々ある。遺伝的に、心情的に、経済的にも、私は立派な親とはお世辞にも言えない。

そのことで私はずっと苦しんできたし、これからも苦しむだろう。

 

もう一度人生を送れるのだとしたら、私は「母」という人生だけは絶対に選ばない。

 

確かに幸せもある。楽しいこともある。

でもそれを帳消しにするくらいの辛さと苦しさがある。自分以外の人間を、一生心配し続けることはそれほ辛いことなのだ。自分に向けられる子供の思いを受け止め続けるのは、想像以上に苦しいことなのだ。

 

子供連れ去り問題を読んで、連れ去った親も、連れ去られた親も、それぞれに辛く苦しい思いを抱えているのだろうと思うと、その重さに涙がでる思いがした。

 

法律で人の感情は解決できない。でもだからこそ法律はあるのだ。

共同親権とする、あるいは非親権者が親と子供が会う権利を法が保障する。そうした方が、子どもが両親に気を使い、苦しむことが1つでも減るのではないだろうか。

 

2分に一組の夫婦が離婚しているらしい。

それだけ複雑な思いを抱えて、生活をしている子供がいるという事だ。

人間というものは、本当にどうしようもない。

どうしようもないくらい、感情に支配された生き物なのだ。