おさるの日記

感じること、思う事

母と絶縁した話

互いの論理思考能力に差がありすぎると、たとえ親子でも付き合っていくことは困難です。

 

「○○の差」という時、それが「知能」のこととなると急に「上から目線」と思われるので厄介なのですが、別に私は自分のことを「頭が良い」などと思っているわけではありません。数学が苦手で、言葉がするすると出てくるほうではないので、IQはそれほど高くないと思います。

 

<IQが20違うと会話が成り立たない>という話題がネット上にたくさん出ていますが、会話が成り立たないというよりも、誤解や曲解、思い込み等によるトラブルが発生する可能性が高くなる、ということだろうと思います。

 

<知能>=<論理思考能力>

 

相手が話している内容を正確に聞き取り、相手にわかるように筋道を立てて言葉で説明をする能力。この力が未発達だと、なかなかお互いの話が通じず、曲解・誤解が生じやすい。

 

AだからBであり、Cである。

そう考えるのは…だからだ。

 

会話するもの同士の論理展開能力が同程度でないと、円滑なコミュニケーションは無理だろうと思います。

 

論理思考能力が低い人の会話を一言でいうと「感情的・刹那的」となるでしょうか。

 

何の根拠もなく思ったことをそのまま発言するので、会話が終われば自分が言ったことはすぐに忘れ、意見もその都度コロコロ変わります。そのため始終「言った言わない」問題が持ち上がります。

 

話の内容を正確に理解することができないため思い込みで解釈してしまい、コミュニケーショントラブルが多発します。

 

始終トラブルが発生するにも関わらず、互いに「すぐ忘れる」という得意技を持っているので、人間関係は破綻せず、継続していく場合が多いように感じます。

 

こういう人を相手に筋道を立てて話そうなんてしようものなら、理屈を捏ねているだけと思われたり、攻撃されていると感じたりするらしく、なぜだか「こちらが悪い」という結論が導き出され激しく反撃されることも多いです。

 

一体、どうしたらいいのか…頭を抱えてしまいます。

 

「相手のレベルに合わせて話さなくてはならない」と言われるけれど、日常生活の中でそんなことを続けていると、こちらがストレスで倒れそうになります。

 

これが他人なら関係を断てば済む話ですが、親子となるとそうもいかないので非常に厄介です。

 

何を隠そう、私の母親がまさに「論理思考能力が果てしなくゼロに近い人」です。

 

せめて穏やかな性格ならばいいのですが、無駄に気が強く、情緒不安定な人間なので、やたらと他人を攻撃します。

 

いやな発言は聞きたくないと言うだけで、「攻撃された、馬鹿にされた」と勝手に誤解し猛反撃にあいます。

 

「お互いに言い分はあるので、どちらが良い悪いの問題ではない。私たちは感覚が違いすぎるだけ」と何度言ってもわかりません。一旦「攻撃された」と思い込むと変更がきかないようです。「お母さんの言うとおりね」とニコニコしていないと気が済まないのでしょうか。

 

あなたは昔はもっと「大らか」だったと言われました。

 

母の言う「おおらか」とは、母の言うことをフンフンと聞き、うるさいことも言わずやり過ごすことと同義なんだそうです。

 

何と勝手な言い分だろうかと呆れますが、昔は子供だったからそうするしかなかっただけです。

 

家にいるしかない非力な子供が、親の愚痴や子供に対する暴言を黙って聞いているのはどういうことか…そういうことに想像を巡らせることができない人なんでしょうね。

 

「子供はあなたが思っているほど馬鹿ではないよ、周りの状況や感情を考えて行動するんだよ」と言うと、「私は子供ころ、そんなことを思ったことも考えたこともない。だからそれは嘘だ。そうじゃなかったら私が馬鹿ってことなのか!」

 

もう、うんざりです。

 

確かに、私にも非はあります。

 

ついつい、「だからねぇ…」とあきれたような物言いをしてしまうことも多いです。何も言わず無視することも、嫌味を言ってしまうことも多かった。母としては面白くないのはわかります。

 

でもねぇ、じゃあどうしたらよかったんでしょう?

 

そう思わないことに「そうだね」と合わせ続けたり、他人を攻撃する暴言を黙って聞いていればよかったのでしょうか。

 

子供のころから幾千幾万回と繰り返されてきた我慢ですが、もう私も中年と言われる年になりました。善悪の感覚が大きく違う、話の通じない相手と対峙することにほとほと疲れました。

 

したがって今日、母とは縁を切りました。

危篤にでもならない限り、もう会うことはないと思います。

 

これを「酷い」と感じる人がいるならば、その人はきっと素晴らしいご両親に恵まれたのだろうと想像します。

 

「親ガチャ」なんて嫌な言葉がありますが、親にものすごく苦労する人と、そうでない人の差は確実にあると思います。

 

私も人の親。子育ても失敗だらけです。人のことをとやかく言える立場ではありません。母が母であるのも、母自身の責任ではないと思っています。そんな脳を持って生まれてしまったんだと気の毒に思っています。そして繰り返しますが、私にも非はあります。

 

でももう気力が持ちません。

 

これからは母に振り回されることなく、自身の家族を大事にし、心穏やかに過ごして行きたいと思っています。

 

さようなら、お母さん。