能力の差について思うこと
昨日に引き続き「能力、能力」と書きますと、「自分をどれだけ賢いと思ってる?」と誤解を受けそうで怖いのですが、そんなつもりも能力も毛頭ございませんのでご了承ください。
バカな人とは?
「バカな人」とは、どういう人のことを指すのでしょう?
学校や職場、ご近所関係と、関わる場所によってその定義は違ってくると思いますが、簡単に言えば「幼い人」と訳せるのではないかと思います。
「幼い」とは、小学校に上がる前の5,6歳の幼児というイメージ。見た目は大人ですが、頭の中は「未発達」の文字が目立つような人。
集中力が低い
理解力・想像力が低いことで誤解や思い込みが多い
物事を俯瞰的に見ることができず状況判断ができない
言語能力が低いため癇癪を起しやすい
などなど…
知的障害ではないけれど、たぶん知能指数は低いのではないかと思うのですが…どうなのでしょう。
仕事ができないことで「バカ認定」されてしまう場合もあるようですが、それは仕事の内容によりけりで、例えば単純作業が苦手など、ある特定の仕事ができない場合は違うと思います。
発達障害気味といいますか、ほかのことには秀でた能力を持っている事もあるので、「バカ」の範疇ではないんじゃないかなと。
幼い人
さて問題の「幼い人」ですが、実に対応が大変です。「大人」として接しなければならないけれど、頭の中は子供なんです。
「こうだからこうなる、なぜならば」といった論理展開に付いてこれないので、説明は極めて単純な表現でなくてはなりません。でも単純にできない事柄も多いので困るのです。
順を追って説明しようとしても、「くどい」「細かいことばかり言う」などと怒り出したりします。結果「こうしてください」とこちらが決めることになるのですが、そうすれば後になって「こんなことは聞いていない」と怒り出したりもするのです。
酷いクレーマーとは、こういう「幼い人」に多いのではないかと思います。
説明しても理解できない。理解できないから端折ったことしか言えない。誤解や思い込みも多いので言った言わないでもめる。そうして最終的には「相手が悪い」と結論付けてしまう。
理解力の低さからくる危険性
理解力や集中力が低い人には「簡単な言葉」+「短い文章」で伝えないと理解してもらえません。だから会話として成り立つ分野も限られ、複雑な問題は扱えません。
したがって会話の内容は、目の前で起こっている事実とメディアで扱っているようなものが多くなります。つまり、知り合いの噂話と芸能界の話です。
でも、それでいいのだと思います。
非常に差別的な発言になることは承知していますが、理解力の乏しい人は複雑な問題に触れないほうがいいのではないかと思うのです。
たとえ政治や経済など複雑な問題に興味を持っても、相手の言うことを単純に信じてしまったり、極端な方向に進んでしまったりする危険性があるのではないかと。
そしてその最たるものがテロなんじゃないかなぁ…なんて。
配慮とは何か
人間のあらゆる能力はグラデーションのように広がっていて、必ず優劣があります。そしてその差は多少の変動はあるものの、その人の努力でどうにかなるようなものではなく、生まれつきである可能性が高いと言われていますね。
だからこそ配慮が必要で、能力に合わせた対応が必要なのだと思います。
でもねぇ…振り返ってみると小学生の頃からずっと、そういう「幼い人」への配慮と気遣いとで、なんだか理不尽な思いが込み上げてくるのです。高校と大学以外は疲れる毎日だったなぁって。
自分がおかしいのか?と悩むことも多かったですが、会話の合わない人達と一緒にいたストレスだったんだと今では思います。
「できない人」への配慮は求められるけれど、「差があることからくるストレス」には何の配慮もないってことが、なんだか理不尽だなぁと思うのです。
どちらも子供の場合は同じ配慮が必要なんではないか?と思うのですが、なかなか難しいのでしょうね。私でも疲れるのに、高IQの人たちは尚更だろうなぁと、本当に気の毒に思います。
公立学校の「ふきこぼれ問題」は、なにも教科の問題だけでなないんです。生活全般の問題なんですよね。
岡田斗司夫「読解力の低下」
岡田斗司夫氏の「読解力の低下」23:58以降5分間
理屈の話についてこれる人とそうでない人の差が開いているのではないか?というお話です。面白いので貼っておきます。ご参考まで。