おさるの日記

感じること、思う事

コロナの<感染症>としての怖さより、<村八分的攻撃>の方がよほど怖い。

知人と話をしていて、

「そんなにコロナが怖いんだ」と、

ちょっと不思議な気がしました。

 

彼女は高齢者ではないし、特に持病もありません。

でもものすごく怖いと言う。

 

なぜ?

 

彼女の70代のお母さんはずっと家の中にいるんだとか。

病気で入退院を繰り返しているので仕方がないのですが、

お母さんご自身は外に出たいと言うそうです。

それでも家族が説得をして家にいるんだと。

 

自分自身の行動も、

高齢の親族に対する対応も、

皆それぞれだなぁと思いました。

 

***** 

 

「コロナって怖いですか?

 

年齢によっても、

健康状態によっても、

この答えは人によって違うのでしょう。

 

この<温度差>が、

コロナ対策の一番厄介なところなのだと思います。

 

私は持病があるので肺炎になってはマズイですし、

薬のことがあるので病院閉鎖になると非常に困るのですが、

それでもコロナはそんなに怖くないのです。

 

自分よりも、

子どもの事の方が心配だからかもしれません。

若い人のこれからがどうなるのか?

コロナ感染よりもはるかに不安なのです。

 

*****

 

高齢者以外の年代には、ほぼ関係ない感染症

最初からそう言われていました。

 今の状況を考えると、

それは正しいのだとしか思えません。

 

高齢者が危険だと言っても、

80代の母や母の知人はみんな普通に暮らしていますし、

旅行にだって出かけています。

 

でも私はそれでいいのだと思います。

 

本人が「籠りたい」と希望するならそうすればいい。

普通にしたいというのならそれでいい。

 

たとえ何かあっても80代です。

もういいではないかと思うのは不謹慎なんでしょうか?

 

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この半年間で感じたのは、

コロナの「感染症」としての怖さよりも、

対策が甘い人に対する村八分的な攻撃」の方が

よほど怖いという事です。

 

「日本人は真面目だからマスクをする。」

世間ではよくそんな話を聞きますが、

それは違うと思います。

 

「真面目だから」ではなく、

人に攻撃されるのが怖いというのが

本音なのではないでしょうか?

 

マスクをしておけば、

とりあえずそのことで攻撃されることはない。

それで済むのならしておこう。

そんなところではないのでしょうか?

 

日本人は「私は私、君は君」が絶対にできない。

 

互いに互いを監視し合い、みんな同じを保とうとする。

誰もが表立って声にはできないことを良いことに、

小学生レベルの「正義」を振りかざして、

少数派を攻撃するのが常です。

 

「みんなで協力しよう!」という言葉ほど、

気味の悪いものはありません。

その言葉の前では誰もが従うしかないのですから。

 

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どんな時でも一番大事にすべきなのは、

子供と若い人です。

 

勉強やスポーツ、受験や就職、

そして人と交流する機会や普通の暮らし。

 

子供や若い人の成長を阻むことを、

彼らの頑張りを挫くようなことを、

決して大人がしてはならないのです。

 

「運が悪かった」

そんな一言で片づけては絶対にダメです。

 

人それぞれ、事情もそれぞれ。

知人の彼女が、

お母さんに家にいてほしいと思う気持ちも自由です。

好きに行動すればいいよと思うのも自由。

 

きっと長引くであろうコロナ対策。

 

たとえ不自由の中でも、

誰もが自分の意志で行動できる自由を守りたい。

そして何よりも、

子供や若い人のことを一番に考えて

これからの対策を練ってほしいと切に願います。