コロナの<感染症>としての怖さより、<村八分的攻撃>の方がよほど怖い。
知人と話をしていて、
「そんなにコロナが怖いんだ」と、
ちょっと不思議な気がしました。
彼女は高齢者ではないし、特に持病もありません。
でもものすごく怖いと言う。
なぜ?
彼女の70代のお母さんはずっと家の中にいるんだとか。
病気で入退院を繰り返しているので仕方がないのですが、
お母さんご自身は外に出たいと言うそうです。
それでも家族が説得をして家にいるんだと。
自分自身の行動も、
高齢の親族に対する対応も、
皆それぞれだなぁと思いました。
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「コロナって怖いですか?」
年齢によっても、
健康状態によっても、
この答えは人によって違うのでしょう。
この<温度差>が、
コロナ対策の一番厄介なところなのだと思います。
私は持病があるので肺炎になってはマズイですし、
薬のことがあるので病院閉鎖になると非常に困るのですが、
それでもコロナはそんなに怖くないのです。
自分よりも、
子どもの事の方が心配だからかもしれません。
若い人のこれからがどうなるのか?
コロナ感染よりもはるかに不安なのです。
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高齢者以外の年代には、ほぼ関係ない感染症。
最初からそう言われていました。
今の状況を考えると、
それは正しいのだとしか思えません。
高齢者が危険だと言っても、
80代の母や母の知人はみんな普通に暮らしていますし、
旅行にだって出かけています。
でも私はそれでいいのだと思います。
本人が「籠りたい」と希望するならそうすればいい。
普通にしたいというのならそれでいい。
たとえ何かあっても80代です。
もういいではないかと思うのは不謹慎なんでしょうか?
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この半年間で感じたのは、
コロナの「感染症」としての怖さよりも、
対策が甘い人に対する「村八分的な攻撃」の方が
よほど怖いという事です。
「日本人は真面目だからマスクをする。」
世間ではよくそんな話を聞きますが、
それは違うと思います。
「真面目だから」ではなく、
人に攻撃されるのが怖いというのが
本音なのではないでしょうか?
マスクをしておけば、
とりあえずそのことで攻撃されることはない。
それで済むのならしておこう。
そんなところではないのでしょうか?
日本人は「私は私、君は君」が絶対にできない。
互いに互いを監視し合い、みんな同じを保とうとする。
誰もが表立って声にはできないことを良いことに、
小学生レベルの「正義」を振りかざして、
少数派を攻撃するのが常です。
「みんなで協力しよう!」という言葉ほど、
気味の悪いものはありません。
その言葉の前では誰もが従うしかないのですから。
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どんな時でも一番大事にすべきなのは、
子供と若い人です。
勉強やスポーツ、受験や就職、
そして人と交流する機会や普通の暮らし。
子供や若い人の成長を阻むことを、
彼らの頑張りを挫くようなことを、
決して大人がしてはならないのです。
「運が悪かった」
そんな一言で片づけては絶対にダメです。
人それぞれ、事情もそれぞれ。
知人の彼女が、
お母さんに家にいてほしいと思う気持ちも自由です。
好きに行動すればいいよと思うのも自由。
きっと長引くであろうコロナ対策。
たとえ不自由の中でも、
誰もが自分の意志で行動できる自由を守りたい。
そして何よりも、
子供や若い人のことを一番に考えて
これからの対策を練ってほしいと切に願います。