友達に会うと楽しいことも多いけど、疲れることも同じだけ多い。これは加齢に伴う「気力の枯渇」が原因かもしれないなぁ。
古くからの友人に会うの楽しいです。
若い頃の一時期を同じ環境で過ごした人だから、
それほど気も使わなくて良いし、
話題に事欠くこともありません。
でもそれがそのまま
負担に変わることもあります。
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お互いに年をとると、
配偶者や子供や仕事という、
周りの状況が目まぐるしく変わって行きます。
少し前までは平気だった事でも、
相手の何気ない一言に傷ついたり、
不快になったりすることもあります。
自分の事に夢中で相手の今の状況に気が付かなかったり、
相手の変化に気づいていても、
ついつい昔のよしみで言ってしまったり。
気の置けない関係が、
傷をより深くしてしまうことってあります。
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最も難しいのは「子ども」のこと。
いろいろなことについて同じレベル、
なんてあり得ないから、
どちらかが「よりできる」分野が必ずあります。
なるだけお互いに「差」のある話題は避けようと思っていても、
話の流れでつい話してしまったり尋ねてしまったりすることがあります。
そんな時は帰宅した後に、暗く鬱々した気持ちに襲われて、
話したことを深く深く後悔して疲れるのです。
相手が上でも、こちらが上でも、
鬱々した気持ちは同じです。
でもお互いの「差」を避けようとすると、
何も話すことがなくなってしまったりもするのです。
言ったり言われたりして気になる事は、
それだけ話したい話題だからでしょうね。
さっぱりと、
鬱々した気分にならずに帰宅後を過ごそうと思えば、
当たり障りのない、
お天気の話の延長線のような話題に終始するでしょう。
そうなると、1時間持たせるのがやっと。
そんなことを考えると、
親しい人に会う目的は何なのかと考えてしまいます。
関係性を維持するためなのか、
自分や相手の気を晴らすための「お互い様」のお付き合いなのか。
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一緒にスポーツをするとか、何か趣味のことをするとか、
歳を取ると「会話だけ」よりも、
何か一緒に行動する事の方が良いような気もします。
考え方の違いで不愉快な気分になっても、
その気分を自力で変えたり、自分の意見を言ったりする、
そんな気力がもうないんでしょうね。
枯渇してきているんだと思います。
若い頃は友人と議論することが、あれだけ楽しかったのに。
歳と共に、人との付き合い方も変化するのでしょうね。
もっともっと歳を取れば、
人と会話をしたいなんて、
もうそれほど思わなくなるのかもしれませんね。
老人の孤独死(私はこの言葉が大嫌いですが)は、
案外こんなところから始まるのかもしれないなぁと、
鬱々した気分の中で思うのです。