おさるの日記

感じること、思う事

私の、発達障害かもしれない母の事を、少しだけ。

子供のころからずっと、

私は母のことを「気がおかしい人」だと思ってきました。

落ち着きのない嫌なことばっかり言うような、

幼稚園児の男の子(女の子ではない)だと思うと納得できる、

そんな人です。

 

私が9歳の時に父との離婚話が出まして(母が言い出したこと)、

その時は「やっとこの人と別に暮らせる」とうれしかったのですが、

父が承諾せず元通りになりました。

あの時ほど、父親の気が知れないと思ったことはなかったです。

 

問題の母ですが、どんな人かと言いますと 、

例えば、

友達ではない、ちょっとした知り合いの人に(知り合いの知り合いとか)、

「その服、全然似合ってないわ」と言ってしまうような人です。

 

脳梗塞で倒れた親族のお見舞いに行って、

「あなた、怖い顔になったわね」と言ってしまう人。

 

年老いた自分の母親が風邪でせき込むと、

「うるさいわねぇ」と言ってしまう人。

 

相手が病人であろうと、老人であろうと、幼い子供であろうと、

思ったことを思ったままに口から出してしまう人。

 

発言のコントロールができないのですから、

当然、感情をコントロールすることもできません。

 

気に入らないことがあるとわめき散らす。

その辺にある物を投げつける。

そしていつも最後には、

「私は悪くない、悪いのは〇〇だ」と言う。

 

なにせ自分の父親のお葬式で、突然わめき出した人です。

母の兄弟が「おじいちゃんが…」と、

亡くなった祖父の思い出話をしていたことに立腹。

「<おじいちゃん>なんていう年じゃない!」と

いきなり怒鳴り出したのですから訳が分かりません。

きっと自分のストレスをコントロールできなかったのでしょう。

(因みに祖父は62歳で亡くなりました)

 

そしてそれもみんな数日後には忘れてしまう。

自分の言ったこと、したことを、数か月の内にすっかり忘れてしまう。

気がおかしいと思わなければ付き合っていけないような人です。

 

もしこの人が他人だったら、

絶対に付き合いたくない、近づきたくもない。

それが私の母です。

 

でも最近、

「母は発達障害なのではないか?」と疑うようになってから、

母を諦めることができるようになりました。

 

先日、夫がADHDだという奥様のインタビュー記事を読んだのですが、

「彼のすることや言葉には感情はのっていないんだ」と書いてありました。

 

感情がのっていない。

「あぁ、そうなのか」と、ものすごく納得しました。

 

母の人を傷つけるような言葉や行動、

他人のプライドをズタズタにするような発言のすべてには、

「嫌なことを言ってやろう」とか

「傷つけるような事をしてやろう」とか、

そういう「感情」が一切ないんだな。

 

そうだったんだ…

母の言動に悩んだのは何だったのでしょうか。

なんてばからしい。

 

なぜ自分の言ったことを忘れてしまうのか?とあきれますが、

感情がのっていないから忘れるのかもしれません。

何の気なしに言った事は忘れます。

それと同じかもしれません。

 

発達障害

実に有難いものを発見してくれたものです。

脳の機能障害なんだ、そう思えば許せることもあります。

でもやっぱり、気分が悪い事には変わりはありません。 

 

こんなことを言うと

危ない考えの人かと思われるかもしれませんが、敢えて言います。

脳に何らかの障害のある人は、親にだけはなってほしくないです。

 

結婚は相手も大人ですから、

その人がそれでもいいなら別にどうでもいいです。

 

でも子供は違います。

子供は親を選べません。

厄介な親を持ってしまうと、親が死ぬまで大変です。

 

大人の、子供を持つ権利ばかりが守られていますが、

子供の側にも、言いたいことは山ほどあります。

 

でもそう思ってふと振り返ってみると、

はたして私って正常なのかしら?

あの母親の血が私にも流れている。

 

ひょっとすると私も、

あの母と同じような母親かもしれない。

なんて恐ろしい。

私も子供を持つべきではなかったのかもしれない。

 

我が子はいつも言います。

結婚なんてしない、子どももいらないと。

 

それもいいかもしれない。

この忌まわしい遺伝が途切れるのなら、その方がいいかもしれない。

そう思ってしまいます。