おさるの日記

感じること、思う事

<才能>の種類によって幸不幸は違う。持たない方がよい才能もあるのではないかな…。

 

新聞ドレス 

 

先日TVをつけると、

「新聞でドレスを作る!」というテロップが目に入ってきました。

 

「新聞でドレス?」

 

興味をそそられ観てみると、 

作るのは「新聞女」という異名を持つ、

芸術家の西沢みゆき氏。

 

彼女が作る新聞ドレス。

ほとんど加工がされていないので、

どこから見ても「新聞のドレス」なのですが、

なんだか妙に味のある作品でした。

 

でも私が興味を持ったのは彼女の過去の話です。 

 

変な子? ダメな子?

 

彼女の幼い頃の話を聞くと、

それは明らかに「芸術系」の人。

発想がおもしろく、目のつけ所が個性的。

 

でもこういう人は必ずと言っていいほど、

「自分は変なんだ、ダメなんだ」と思ってしまうんですね。

「思ってしまう」というよりは「思わされてしまう」んです。

 

彼女のような奇抜な才能を持った子は、

その他の多くの子供から見れば

ただの「変わった子」でしかないのでしょう。

 

でも、そう思う子供を責めることはできません。

小学生や中学生はまだまだ頭の中が幼く、

恐ろしく経験不足。

 

そのため、

自分の中にある「普通」から少しでも外れると、

それは全部「変」になってしまいます。

 

非常に世の中が狭いんですね。

 

周りの大人にしても、

普通は精神的な余裕がありませんから、

「面倒な子」として配慮の外に置かれる場合が多いです。

 

かくして、

何かの才能を持った人というのは、

程度の差こそあれ、

人間関係において何かしら

辛い思いをする場合が多いのではないかと思います。

思春期は特に。

 

得な才能と損な才能

 

<才能があるっていいよね>

人はお世辞半分でそう言いますが、

持った才能の種類によっては、

持たなかった方が良かったのではないかと

思うようなものもあります。

 

以前NHKで、

「知らぜらる天才・ギフテットの素顔」という、

ドキュメンタリー番組がありました。

 

高IQのギフテット達が登場しますが、

最も印象的だったのは、

数学の天才と芸術の天才の、あまりな処遇の違いでした。

 

***** 

 

数学の天才は小学生の男の子。

小学4年生だったかな? 

大学院で扱うような数学を独学で学んでいるという、

本物の天才でした。

 

彼と親交のある大学の教授は、

「彼は将来、数学で何らかの成功を納める人になる。」と

目を細めておっしゃってました。

きっと彼の未来は明るいのだろうと思う瞬間でした。

 

逆に芸術の天才である20代の男性。

彼は東京芸術大学中退の経歴を持つ、当時ひきこもり中の青年でした。

IQが140とかじゃなかったかな?

 

彼が描いたという、

塀一面に描かれたパンダの絵。

色を削ることで陰影を出しているスゴイ絵でした。

 

でも「落書き」という事で、

数日後にはきれいさっぱり消されてしまいます。

 

彼が芸大を中退したのは、

大学の規定を守らずに(悪気はない)

芸術活動をしてしまうことが原因でした。

 

私なんぞは、

芸大ってそういうところじゃないの?

大学は才能を守らないの?

と思うのですが、

才能を守る事よりも、

問題が起きることを避ける方が、

大学にとっては大事だったのでしょう。

 

理系はいいなぁ…

 

数学や医学、IT系などなど、

今の時代に役立ちそうな才能(能力)があれば、

よほど人間的に欠陥がないがぎり、

未来は明るいのではないでしょうか。

 

天才まで行かなくても、

「ちょっと平均よりできる」くらいでも、

十分ご飯の種になると思います。

 

でもその他の才能は?

特に芸術系は「頂点に立つ」くらいでないと食べてもいけないし、

なかなか厳しいのではないでしょうか。

 

結局のところ才能の価値は、

世の中の利になるかならないかが基準になります。

 

理系の才能は世の中の利になりお金になる。

成果がはっきり目に見えてわかりやすい、というのもあるでしょう。

そしてその基準は、時代によっても変わります。

 

そんなことを考えると、

たいして有利にならないのなら、

そんな特別な能力は、無い方がいいのではないかと思ってしまいます。

 

得にもならないのに、

やたらと生きずらいって…あまりにも気の毒すぎます。

多勢に無勢。

それなら多勢の中にいたほうが、楽しく生きられるかもしれない。

 

*****

 

さだまさしの「無縁坂」という曲。

 

運がいいとか悪いとか

人は時々 口にするけど

そういうことって 確かにあると

あなたを見てて そう思う

 

哀愁漂う良い曲ですが、

ふと思い出すような本日の話題でした。

 

 

*****

 

西沢みゆき氏のインタビューです。

詳しく載っているサイトがあったので。

ima.goo.ne.jp

 

 

コロナの<感染症>としての怖さより、<村八分的攻撃>の方がよほど怖い。

知人と話をしていて、

「そんなにコロナが怖いんだ」と、

ちょっと不思議な気がしました。

 

彼女は高齢者ではないし、特に持病もありません。

でもものすごく怖いと言う。

 

なぜ?

 

彼女の70代のお母さんはずっと家の中にいるんだとか。

病気で入退院を繰り返しているので仕方がないのですが、

お母さんご自身は外に出たいと言うそうです。

それでも家族が説得をして家にいるんだと。

 

自分自身の行動も、

高齢の親族に対する対応も、

皆それぞれだなぁと思いました。

 

***** 

 

「コロナって怖いですか?

 

年齢によっても、

健康状態によっても、

この答えは人によって違うのでしょう。

 

この<温度差>が、

コロナ対策の一番厄介なところなのだと思います。

 

私は持病があるので肺炎になってはマズイですし、

薬のことがあるので病院閉鎖になると非常に困るのですが、

それでもコロナはそんなに怖くないのです。

 

自分よりも、

子どもの事の方が心配だからかもしれません。

若い人のこれからがどうなるのか?

コロナ感染よりもはるかに不安なのです。

 

*****

 

高齢者以外の年代には、ほぼ関係ない感染症

最初からそう言われていました。

 今の状況を考えると、

それは正しいのだとしか思えません。

 

高齢者が危険だと言っても、

80代の母や母の知人はみんな普通に暮らしていますし、

旅行にだって出かけています。

 

でも私はそれでいいのだと思います。

 

本人が「籠りたい」と希望するならそうすればいい。

普通にしたいというのならそれでいい。

 

たとえ何かあっても80代です。

もういいではないかと思うのは不謹慎なんでしょうか?

 

*****

 

この半年間で感じたのは、

コロナの「感染症」としての怖さよりも、

対策が甘い人に対する村八分的な攻撃」の方が

よほど怖いという事です。

 

「日本人は真面目だからマスクをする。」

世間ではよくそんな話を聞きますが、

それは違うと思います。

 

「真面目だから」ではなく、

人に攻撃されるのが怖いというのが

本音なのではないでしょうか?

 

マスクをしておけば、

とりあえずそのことで攻撃されることはない。

それで済むのならしておこう。

そんなところではないのでしょうか?

 

日本人は「私は私、君は君」が絶対にできない。

 

互いに互いを監視し合い、みんな同じを保とうとする。

誰もが表立って声にはできないことを良いことに、

小学生レベルの「正義」を振りかざして、

少数派を攻撃するのが常です。

 

「みんなで協力しよう!」という言葉ほど、

気味の悪いものはありません。

その言葉の前では誰もが従うしかないのですから。

 

*****

 

どんな時でも一番大事にすべきなのは、

子供と若い人です。

 

勉強やスポーツ、受験や就職、

そして人と交流する機会や普通の暮らし。

 

子供や若い人の成長を阻むことを、

彼らの頑張りを挫くようなことを、

決して大人がしてはならないのです。

 

「運が悪かった」

そんな一言で片づけては絶対にダメです。

 

人それぞれ、事情もそれぞれ。

知人の彼女が、

お母さんに家にいてほしいと思う気持ちも自由です。

好きに行動すればいいよと思うのも自由。

 

きっと長引くであろうコロナ対策。

 

たとえ不自由の中でも、

誰もが自分の意志で行動できる自由を守りたい。

そして何よりも、

子供や若い人のことを一番に考えて

これからの対策を練ってほしいと切に願います。

 

 

些細なことに気持ちが引っ掛かって動けない。厄介な脳を持ってしまったなぁ…

人が気にも留めない些細なことに、
なぜこんなに気持ちが、
引っ掛かってしまうのでしょうか。

傷付いた気持ちが、いつまでも消えない。
腹立たしい思いが、果てしなく続く。

一歩歩けば何かに引っ掛かり、
その場にうずくまったまま動けなくなる。

そんな時は、
嫌な気持ちが消えてしまうのを
ただただ待つしかないので困ります。

何事もたいして気にも留めず、
サクサクと歩いている人を見ると、
本当に羨ましくなります。

そんな人が1年ですることを、
はえっちらおっちら
3年も5年もかかってしまう。

これでは時間切れで、
挑戦する機械が少なくなるので、
それだけ成功する確率も低くなってしまう。

人の寿命はだいたい決まっていて、
病気さえしなければ、
同じ長さを与えられています。

でもそれを、
どんな速度で使うかは人それぞれ。

高速で走り抜ける人もいれば、
のろのろ運転で行く人もいます。

私は完全に、のろのろ運転の人。
超がつくほど亀の歩み。

思春期の頃は自分の遅さに嫌気がさして、
いつもイライラしていたけれど、
いいかげん、この厄介な脳に慣れないとね。

このおそろしく効率の悪い脳と、
付き合っていかなければならないんだから。

友達に会うと楽しいことも多いけど、疲れることも同じだけ多い。これは加齢に伴う「気力の枯渇」が原因かもしれないなぁ。

古くからの友人に会うの楽しいです。

若い頃の一時期を同じ環境で過ごした人だから、

それほど気も使わなくて良いし、

話題に事欠くこともありません。

 

でもそれがそのまま

負担に変わることもあります。

 

*****

 

お互いに年をとると、

配偶者や子供や仕事という、

周りの状況が目まぐるしく変わって行きます。

 

少し前までは平気だった事でも、

相手の何気ない一言に傷ついたり、

不快になったりすることもあります。

 

自分の事に夢中で相手の今の状況に気が付かなかったり、

相手の変化に気づいていても、

ついつい昔のよしみで言ってしまったり。

 

気の置けない関係が、

傷をより深くしてしまうことってあります。

 

*****

 

最も難しいのは「子ども」のこと。

 

いろいろなことについて同じレベル、

なんてあり得ないから、

どちらかが「よりできる」分野が必ずあります。

 

なるだけお互いに「差」のある話題は避けようと思っていても、

話の流れでつい話してしまったり尋ねてしまったりすることがあります。

そんな時は帰宅した後に、暗く鬱々した気持ちに襲われて、

話したことを深く深く後悔して疲れるのです。

 

相手が上でも、こちらが上でも、

鬱々した気持ちは同じです。

 

でもお互いの「差」を避けようとすると、

何も話すことがなくなってしまったりもするのです。

言ったり言われたりして気になる事は、

それだけ話したい話題だからでしょうね。

 

さっぱりと、

鬱々した気分にならずに帰宅後を過ごそうと思えば、

当たり障りのない、

お天気の話の延長線のような話題に終始するでしょう。

そうなると、1時間持たせるのがやっと。

 

そんなことを考えると、

親しい人に会う目的は何なのかと考えてしまいます。

 

関係性を維持するためなのか、

自分や相手の気を晴らすための「お互い様」のお付き合いなのか。

 

*****

 

一緒にスポーツをするとか、何か趣味のことをするとか、

歳を取ると「会話だけ」よりも、

何か一緒に行動する事の方が良いような気もします。

 

考え方の違いで不愉快な気分になっても、

その気分を自力で変えたり、自分の意見を言ったりする、

そんな気力がもうないんでしょうね。

枯渇してきているんだと思います。

 

若い頃は友人と議論することが、あれだけ楽しかったのに。

歳と共に、人との付き合い方も変化するのでしょうね。

 

もっともっと歳を取れば、

人と会話をしたいなんて、

もうそれほど思わなくなるのかもしれませんね。

 

老人の孤独死(私はこの言葉が大嫌いですが)は、

案外こんなところから始まるのかもしれないなぁと、

鬱々した気分の中で思うのです。

 

 

 

 

娘のヒーローである「父」と、息子の聖母である「母」 

私の母親は扱いの難しい人ですが、

私の兄弟は私ほどそう思っていないので不思議です。

 

難しい人だという認識はあるのですが、

それで母親を憎むとか、そういう気持ちはないようです

性格の問題かもしれませんが、

やはりそこは男女の違いかもしれません。

 

***** 

 

同性の親子と異性の親子は、扱いも感情も違います。

基本的に息子にとって母親は「聖母」です。

母親にとっても、息子は「かわいい私の息子」なのです。

 

逆に娘にとっては、父親はヒーローです。

自分のことを心配し、守り助けてくれる唯一の人です。

父親の方でも、

息子に対する思いと、娘に対する思いは違うのだと思います。

 

***** 

 

私の父は71歳で亡くなりました。

 

父が亡くなった時、

「これで私を全力で助けてくれる人はいなくなった…」と思いました。

母親や夫はいますが、父親に対する思いとは何か違います。

 

実際の父は、いつもどんな時でも私を助けてくれたわけではありません。

その必要がないと思うこともあっただろうし、

助けたくないと思う時もあったかもしれません。

 

それでも娘である私は、

「父はどんな時でも必ず私を助けてくれる」と

思っていたのですから不思議です。

 

 *****

 

親子とは不思議な関係です。

これほど愛憎乱れる思いを持つ相手は

「親」のほかにはありません。

 

我が子や配偶者には、

そこまでの思いを抱くことはありません。

また相手に期待することもありません。

 

配偶者は「最初は他人だった人」です。

離婚すれば「他人」になる人です。

そういう立場の人に、

そこまで期待してはいけないという気持ちがあります。

 

我が子に対しても同じかもしれません。

子供はいずれ、

母である私からは離れていく存在だと思っているからです。

 

子供が親を追い求める気持ちは、

ほかのどんな人にも向けることはない、

非常に特殊な感情なのかもしれません。

 

**** 

 

「伊集院花子の生涯」

宮尾登美子の小説で、夏目雅子主演の有名な邦画ですが、

私が一番印象に残っているのは一番最後のシーンです。

 

亡くなった花子が出したハガキを、松恵(夏目雅子)が受け取ります。

そこには拙い字でこう書いてありました。

 

「おとうさん おねがい たすけて」

 

娘に裏切られた父・鬼政(仲代達矢)。

それでももし生きていたら、きっと娘を助けたと思います。

花子は父の死を知っていたのかどうなのか。

切なくて、忘れられない場面です。

 

 

 

 

私の、発達障害かもしれない母の事を、少しだけ。

子供のころからずっと、

私は母のことを「気がおかしい人」だと思ってきました。

落ち着きのない嫌なことばっかり言うような、

幼稚園児の男の子(女の子ではない)だと思うと納得できる、

そんな人です。

 

私が9歳の時に父との離婚話が出まして(母が言い出したこと)、

その時は「やっとこの人と別に暮らせる」とうれしかったのですが、

父が承諾せず元通りになりました。

あの時ほど、父親の気が知れないと思ったことはなかったです。

 

問題の母ですが、どんな人かと言いますと 、

例えば、

友達ではない、ちょっとした知り合いの人に(知り合いの知り合いとか)、

「その服、全然似合ってないわ」と言ってしまうような人です。

 

脳梗塞で倒れた親族のお見舞いに行って、

「あなた、怖い顔になったわね」と言ってしまう人。

 

年老いた自分の母親が風邪でせき込むと、

「うるさいわねぇ」と言ってしまう人。

 

相手が病人であろうと、老人であろうと、幼い子供であろうと、

思ったことを思ったままに口から出してしまう人。

 

発言のコントロールができないのですから、

当然、感情をコントロールすることもできません。

 

気に入らないことがあるとわめき散らす。

その辺にある物を投げつける。

そしていつも最後には、

「私は悪くない、悪いのは〇〇だ」と言う。

 

なにせ自分の父親のお葬式で、突然わめき出した人です。

母の兄弟が「おじいちゃんが…」と、

亡くなった祖父の思い出話をしていたことに立腹。

「<おじいちゃん>なんていう年じゃない!」と

いきなり怒鳴り出したのですから訳が分かりません。

きっと自分のストレスをコントロールできなかったのでしょう。

(因みに祖父は62歳で亡くなりました)

 

そしてそれもみんな数日後には忘れてしまう。

自分の言ったこと、したことを、数か月の内にすっかり忘れてしまう。

気がおかしいと思わなければ付き合っていけないような人です。

 

もしこの人が他人だったら、

絶対に付き合いたくない、近づきたくもない。

それが私の母です。

 

でも最近、

「母は発達障害なのではないか?」と疑うようになってから、

母を諦めることができるようになりました。

 

先日、夫がADHDだという奥様のインタビュー記事を読んだのですが、

「彼のすることや言葉には感情はのっていないんだ」と書いてありました。

 

感情がのっていない。

「あぁ、そうなのか」と、ものすごく納得しました。

 

母の人を傷つけるような言葉や行動、

他人のプライドをズタズタにするような発言のすべてには、

「嫌なことを言ってやろう」とか

「傷つけるような事をしてやろう」とか、

そういう「感情」が一切ないんだな。

 

そうだったんだ…

母の言動に悩んだのは何だったのでしょうか。

なんてばからしい。

 

なぜ自分の言ったことを忘れてしまうのか?とあきれますが、

感情がのっていないから忘れるのかもしれません。

何の気なしに言った事は忘れます。

それと同じかもしれません。

 

発達障害

実に有難いものを発見してくれたものです。

脳の機能障害なんだ、そう思えば許せることもあります。

でもやっぱり、気分が悪い事には変わりはありません。 

 

こんなことを言うと

危ない考えの人かと思われるかもしれませんが、敢えて言います。

脳に何らかの障害のある人は、親にだけはなってほしくないです。

 

結婚は相手も大人ですから、

その人がそれでもいいなら別にどうでもいいです。

 

でも子供は違います。

子供は親を選べません。

厄介な親を持ってしまうと、親が死ぬまで大変です。

 

大人の、子供を持つ権利ばかりが守られていますが、

子供の側にも、言いたいことは山ほどあります。

 

でもそう思ってふと振り返ってみると、

はたして私って正常なのかしら?

あの母親の血が私にも流れている。

 

ひょっとすると私も、

あの母と同じような母親かもしれない。

なんて恐ろしい。

私も子供を持つべきではなかったのかもしれない。

 

我が子はいつも言います。

結婚なんてしない、子どももいらないと。

 

それもいいかもしれない。

この忌まわしい遺伝が途切れるのなら、その方がいいかもしれない。

そう思ってしまいます。

 

 

 

 

NHKプレミアムの「キャンディーズ解散コンサート」。今になってキャンディーズの愛らしさがわかる…という話。

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出典:AERA dot.

NHKプレミアムで、

キャンディーズの解散コンサートをやっていました。

番組名は、

「伝説のコンサート”我が愛しのキャンディーズ”リマスター版」

 

解散コンサートとそれまでの軌跡を、

関係者のインタービューを交えて進みます。

 

映像を見ていて思ったのですが、

彼女たちは話し方がきれいですね。

 

私は今、いい年のおばさんですが、

「アイドル」だった若い彼女たちの話を聞いていても、

嫌な感じが1つもしません。

それは40年以上前のものだからでしょうか。

 

★★★

 

キャンディーズが解散した頃、私はまだ小学生。

父親がアイドル嫌い(というか歌謡曲嫌い)だったので、

テレビではほとんど見たことがありません。

 

それでもいつもどこかから聞こえていたのでしょう、

コンサートで流れた歌は、知っている曲がほとんどでした。

 

私の記憶に強く残っているのはピンクレディーの方。

キャンディーズが解散してから

ピンクレディーが出たんだと勝手に思っていたのですが、

活動期は重なっていたのですね。

 

当時の子ども達にとっては、

ピンクレディーの華やかさが面白かったのでしょうけど、

大人になった今見ていると、

キャンディーズの方が断然いいです。

とてもかわいらしい。

猫を被ったような気持ちの悪いかわいらしさではなく、

自然な愛らしさに好感が持てます。

 

★★★

 

1978年にキャンディーズが解散し、

その3年後にピンクレディーが解散。

その間の1980年に山口百恵が引退。

そして同じ年、松田聖子がデビューするのです。

 

この後から、

アイドルが一気に「消耗品」になっていったような気がします。

 

それまでもアイドルとは賞味期限のある商品で、

「消耗品」には違いはないのですが、

何というか、

その商法があからさまになっていったように感じます。

 

1980年代のアイドルはホントにもうテキトーと言うか、

売れれば何でもいいといい感じがして、

当時の芸能界全体があまり好きではありませんでした。

 

1990年代に入って、

ちょっといいようになっていったような…。

 

★★★

 

芸能界に限らず、

1980年代という時代は変な時代でした。

 

バブルは1987年から4年ほどの現象で、

決して80年代全部の事ではないのですが、

あの10年は、その乱痴気騒ぎそのものでした。

 

前時代の政治的な雰囲気の反動なのか、

真面目であること、深く考えることが、

「暗い」という一言で一蹴された時代。

 

キャンディーズのあの自然な、真面目な愛らしさは、

まだ何とか落ち着きを保っていた

70年代だからこそあり得たのかもしれません。

 

★★★

 

今のアイドルの事は何もわかりませんが、

きっと今という時代を映している事でしょう。

ご当地アイドルや地下アイドルなんていうグループが、

「今そのもの」なんでしょうか。

 

その当時には見えなかったことが、

時が経つとともにわかってくることってありますね。

 

2020年代のことも、今はきっと見えていない。

あと数十年経つと、わかるのでしょうけど、

その頃私、生きてるかしら?

せっせと生きて、確かめてみたいものです。